医王いろいろ閑話
2021年5月23日 22:29
【 水族館劇場公演折り返しを迎えて 】 宗禅寺 高井和正
5月14日から宗禅寺第二駐車場で、劇団水族館劇場の『アントロポセンの空舟(うつほふね)』の公演が開催されています。
近隣住民の皆様方には夜な夜な大きな音で頭を悩ませてしまっている部分もありますが、
袖振り合うも他生の縁として寛大なるお心でお迎えして下さっている方々も多くいて下さり、大変有難いことと思っております。
昨年、彼らの新宿の花園神社での公演は、コロナ騒動の勃発により、一から設営した劇場に一人の観客も迎えいれることなく、終焉を
迎えました。日本でも有数の夜の街、歌舞伎町から人々が消え去っていく様を、作り上げた劇場と共にただただ傍観するしかなかった彼
ら。普段は日本全国にて生活をしている俳優さんや裏方さんが集まることも難しくなり、恐らく劇団員一人一人が皆、水族館劇場と共にこ
れからも歩みを進めるか否か、真剣に考え、真剣に自分自身とも向き合ったのではないかと思います。
そうした流れの果てに漂流していた彼らは縁あって羽村に辿り着きました。私個人も、コロナ禍にあって、見知らぬ彼らを平穏なる羽村
の住宅街に迎え入れることが、果たして良いことなのかどうか、正直申せば、ネガティブな方向に考えてしまったこともありましたが、そ
れでも彼らに芝居ができる場所を提供できてよかったと今は思っています。
コロナがもたらしたものは、死に直結する病気の怖さ、仕事や経済的なる収入の減少、世間からの殺伐とした見えない眼差しなど、大き
な大きな不安でした。コロナ以前の我々の幸せなる日常生活にて、拠り所としていたあらゆるものが現在崩壊しかけているように感じら
れ、拠り所をうしなった我々は、自分自身を保つのに精いっぱいとなり、とても他人に対して気を回す余裕がなくなってしまっているのが
実情だと思います。コロナによってこの世が地獄となるか極楽となるか。自分が鬼となるか仏となるか。一日一日その分岐点に我々は立っ
ているのだと思います。
禅では〝直指人心(じきしにんしん)〟といって、その時その時の自分の心をきっちりと見定めることを宗としています。地獄や鬼はど
こにいるのか。禅の立場は、地獄や鬼は自分の心の中にいるというものです。極楽や仏もまた自分の心にいらっしゃるのですが、日常生活
の中の一挙手一投足における自分の心を注視し見定め、自分自身で心の中の仏さまに出逢い、その仏さまを育んでいくことが幸せへの道
だと説かれています。
都合の良い解釈かもしれませんが、水族館劇場の皆様は、彼らなりのやり方で心の中の仏さまを育んでいるように映ります。劇場を自ら
設営し、お稽古をし、お客さんを迎え芝居を演じ、お見送りして、劇場を解体する。心というものは目に見えるものではありませんが、そ
の自分たちの心を、具体的な形としてその都度その都度、劇場や芝居として構築し、表現し、歩みを進めているのです。芝居に縁のない人
にとっては、旅芸人一座である彼らのような姿は大変奇異なものに映るかもしれませんが、彼らが表現しているのは、人間誰もが持ってい
る純粋な生きようとする前向きなエネルギーであり、その前向きなエネルギーを禅では仏さまと表現しています。彼ら自身が設営した大き
な劇場を見ていただき、また実際に芝居を観ていただき、彼らの純粋なる前向きなエネルギーに触れることによって、明日を生きる活力を
お持ち帰りいただければ有難いです。表現の仕方は違えど、我々の心にも前向きに生きようとするエネルギーがあるはずです。コロナで渇
いてしまった人々の心の仏さまが、水族館劇場の皆様の姿を通して共鳴し、再び潤って下さることを切に願っております。