医王いろいろ閑話
2021年12月15日 15:06
伊藤友己さんからの特別寄稿『宗禅寺の石灯籠』
宗禅寺にある石灯籠について、伊藤友己さんという方がご調査をされ、ご寄稿を下さいました。ここに掲載致しまして、感謝のしるしと致します。
【 宗 禅 寺 の 石 灯 籠 】 伊藤 友己
宗禅寺庫裏右脇の庭に、大きな石灯籠が二基建っています。第19世高井俊諦和尚が狭山の地から引き取ってきた灯籠です。
元々は徳川家の菩提寺の一つである、芝の増上寺に営まれた将軍家霊廟に、諸国の大名から献納された灯籠です。
戦後、霊廟はホテル建設のために取り壊され、石灯籠は狭山の地に運ばれ野積みにされていましたが、西武ドーム建設のため、希望する寺院に配られました。
まず灯籠の棹の部分に刻まれた銘を書き抜いてみます。
手前の灯籠は
「奉獻 石燈籠 兩基
武州
増上寺
惇信院殿 尊前
寶暦十二年辛巳六月十二日
參州岡崎城主
從五位下水野和泉守源忠任」
奥の灯籠は
「奉獻 石燈籠 一基
増上寺
惇信院殿 尊前
寶暦十二年辛巳六月十二日
上野國沼田城主
從五位下美濃守源姓土岐定經」
惇信院は九代将軍徳川家重公の諡で、家重公は寶暦十二年(1762年)六月十二日に逝去され、有章院(七代家継公)廟に合祀されました。
当時、将軍家霊廟に献納する灯籠の種類と基数は、大名家の家格によって区別が付けられていました。十万石以上は唐金灯籠、十万石未満は石灯籠で、その内五万石以上は二基、五万石未満は一基と定められていました。
手前の灯籠は銘に両基と刻まれており、三河岡崎城主水野和泉守忠任が献納したものです。岡崎藩は六万五千石なので二基献納することが出来ました。因みに対の灯籠は、長野県千曲市の生蓮寺で確認されています。
奥の灯籠は、上野沼田城主土岐美濃守定経が献納したもので、沼田藩は三万石ですので一基の献納となりました。
灯籠の大きさ、形は四代将軍家綱の霊廟以降規格化、絵図として各藩に示され、以後灯籠の献納された十一代将軍まで増上寺、寛永寺を問わず同型となります。材質は小松石、根府川石と呼ばれる伊豆堅石で、石切場から大量に切り出されて、船で江戸に運ばれました。灯籠は府内の石屋で加工され、逝去からほぼ半年後に、各藩の手で牛に牽かせて霊廟に運び込まれました。
宗禅寺では元々本堂前に建てられましたが、地震の際の檀家様の安全を考え、今の位置に移されました。